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◆昭和20年代(1945年)
韮崎町(当時)に住む登山家、故・山寺巖氏は韮崎高等学校スキー部の指導者として活動し、当時の韮崎高等学校スキー部を冬季国民体育大会で入賞するまでに成長させました。当時のスキー部の選手には、山梨県スキー連盟で活動していただいた樋口一彦氏や、現在、韮崎市名誉市民である、北里大学病院の大村 智氏らが山寺氏の指導の下に練習しておりました。そのころ、山寺氏は韮崎の西にある甘利山の入口に住む小林三郎氏と共に甘利山の中腹を利用し、スキーが行えるよう下草刈をし、スキー場として開拓をしました。

◆昭和30年代(1955年)
韮崎高等学校で活躍した選手らが集まり甘利山スキー場にて、スキー大会を行うまでになりました。その集まりが「韮崎スキー愛好会」いわゆる現在の「韮崎スキークラブ」の始まりであると言われています。

◆昭和40年代(1965年)
韮崎スキークラブは、スキー愛好家の人達で活動されていました。その中で、スキー人口を増やしたい、スキーの楽しさをもっと多くの人達に知ってほしいと、スキーの普及,発展を考えていたのが、クラブの中心的存在でいた、故、小林 仁氏でした。小林氏は、市役所と韮崎スキークラブとのパイプ役として活動し、韮崎市に「韮崎市スキー連盟」を誕生させました。また、山梨県スキー連盟においても、永年にわたり活動してきた人物であります。その労をいとわぬ行動はクラブ員の絶賛の的でした。

◆昭和50年代(1975年)
故・長沢昇平氏を中心に韮崎市スキークラブは徐々に活動を広め韮崎小学校PTAや、他の小学校からもスキー教室の指導の依頼を受け、子供達にスキーの指導を実施して来ました。同時に、韮崎市が行う韮崎市スキー選手権大会も開催されるようになり、山梨県の冬季体育祭りにも連盟を通じ参加するようになりました。当時の主な活動拠点としては「からまつ山荘」(北志賀高原 高井富士スキー場)があります。からまつ山荘のオーナー故・町野雄一氏の温厚で人情味のある人柄によりクラブ員の第2の家となっていました。町野氏の尽力により高井富士スキー場で検定会、韮崎市スキー大会等が開催されていました。

◆平成時代(1990年)
最近では韮崎市教育委員会が始めた、韮崎市親子スキー教室が定着するようになり、スキーになかなか出掛けられない人達も、このような企画の中、楽しくスキーに親しむようになりました。スキーを始める人達に少しでもスキーの楽しさを伝えられるよう活動しています。そして、これから韮崎市スキー連盟が望むこととして、多くの市民の皆様方に、白銀におおわれた大自然に親しむとともに、年齢に関係なく、楽しめるスポーツとしてスキーの素晴らしさを体験してほしいと願っています。
     ※韮崎市体育協会のあゆみ」より一部抜粋 


韮崎スキークラブ    韮崎市スキー連盟/山梨県スキー連盟加盟 
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